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2022年7月4日

「王あるいはなにものか」解題


 言葉の自由時間を読む

『王あるいはなにものか』(2022年)のテキストはガートルード・スタイン(1874-1946年)の詩「The King or Something」です。日本語版の詩集としては『地理と戯曲 抄』(金関寿夫ほか訳、書肆山田、1992年)があり、この作品も、ぱくきょんみさんの翻訳で収録されています。台本の作成にあたっては新たに訳出しましたが、もちろん参考にさせていただきました。深謝!そして、英語の詩を日本語で読むという行為に大きなギャップが生じるのもわかってはいるつもりです。とはいえ、英語でも日本語でも、スタインの詩の特徴がモチーフの日常性や語彙の平明さ、その簡素なスタイルの徹底にあるというのは確かでしょう。個々の言葉はごくありふれたものを語るようでいて一言一句の構成が時に官能的な世界を立ち上げます。それはフランス文学のような象徴性ともアメリカのビートニクのような挑発性とも異なり、慣れ親しんだ言葉の風景を直感的にカット&ペーストするような軽快さもあるので、とても自由な空気を醸成しています。録音時の台本には「言語空間の柔らかな秩序について」という副題を付けました。この「柔らかな」という物理特性がスタインの詩の自由を理解する視座にならないかと考え、彼女の言語ネットワークを精査し、言語空間が生まれる瞬間の柔らかな手触りのようなものを探りたかった――。リーディングは二人の俳優、紺乃鳳文さんと河南由良さんにお願いしました。紺乃ボイスの鋼のような輝きと由良さんの語りの快活さや親密さは、20世紀初頭のアメリカ社会を築いただろう市民の活力を表現しています。この詩の原典の副題は「The Public is invited to Dance」というのですが、そんな雰囲気ですね。ビジュアルに関しては、なんというか、スタインの言葉の響きをスクリーンに透過するようなイメージを選びました。その結果は、正直、編集用モニターで見ている現在はまだ不十分、もっと大きなスケールで映写して初めて体感できると思っています。たとえば、公園かどこかの芝生に寝転がって空をボーッと眺め、詩のリーディングをボーッと聴くような大らかな映画になってくれたらなぁと願いつつ。およそ20分余の映像、束の間の“言葉の自由時間”を愉しんでいただければ…