2023年12月28日

2023年の演劇10本

神威少女パンク。の不条理コントは2024年も要注目!

miuna「ザ・フライジャル ライト/レフト」

八角家「石鹸心中」

神威少女パンク。「人攫いのテーマ」

日本のラジオ「ココノイエノシュジンハビョウキデス」

くによし組「壁背負う人々」

肋骨蜜柑同好会「象牙の塔(がんばったがダメ)」

劇作家女子会。feat.noo「It's not a bad thing that people around the world fall into a crevasse.」

ポポポ「第iii者」

tarinainanika「Rey Camoy」

SCOT「トロイアの女」

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順不同。今年印象に残った作品は、現代のアクチュアリティを感じさせるものが多かったです。コロナ禍の不安や混乱を回想した「It's not a bad thing that people around the world fall into a crevasse.(クレバス2020)」新宿という都市の閉塞感を吐露する「夜を歩く」(肋骨蜜柑同好会)ネットの言説に掻き回されたコミュニティの顚末を描く「第iii者」など、どれも素晴らしかった!その一方、屋代秀樹 作・演「ココノイエノシュジンハビョウキデス」八角数計 演出「石鹸心中」フジタタイセイ 作・演「象牙の塔(がんばったがダメ)」など、作家的な魅力や物語の美的洗練を見せてくれるものもあったし、最高の一年でした!ところで、チと掘り下げた話をすると、演劇をはじめとする舞台芸術のほとんどは「空間」の芸術であり、その空間でのパフォーマンスは「共時性」に本質があると思うんです。演劇の上演ならば、物語を「現在」に立ち上げ、それを役者や観客が「共有する」というとイメージしやすいでしょうか。今年、吉祥寺で再演された「トロイアの女」(初演は1974年)はその共時性の構造がやや込み入っていた。複数の「時」というか「時代」というか、“すごく古い”ギリシャ悲劇という題材に“少し古い”戦後日本の批評意識を加え、それを“現代の若い”俳優たちによって再演するという時の3層構造…。鈴木忠志のディレクションはそれを俳優の肉体的訓練による運動の制御(稽古やトレーニング)や装飾的統御(衣装やメイクや演技)や空間の様式化(演出)によって構築していたと思います。ただ、彼の設計は日本古来の文化的な(たとえば四季の穏やかな変化に寄り添い自然との調和をめざすような)様式化とは違って近代の国民国家成立以後のものであり、その実践はどこか軍隊の教練にも似た雰囲気があるし、それはファシズムに通じる危うさを孕んでいるようにも見えてしまう。そのことを彼は警戒すべきじゃないのか?むろん、それは現在から見た批評であって、今では“少し古い”カウンターカルチャーの演劇文体として意味があったんでしょう。だから来年は、海外戯曲の最前線にあるような作品も見たいですね。NatinalTheaterLiveなんか殿堂入りの名作ばかりで肩が凝る。完璧さよりも、芸術のもつもっと猥雑な力にも触れたいし、アヴァンギャルドな知的冒険だって見たいですね!

2023年12月27日

2023年の映画10本

セルゲイ・ロズニツァ「戦争と正義」特集のパンフレット

パウロ・ローシャ「黄金の河」(1998年)

ジャック・ドワイヨン「泣きしずむ女」(1979年)

ホン・サンス「小説家の映画」(2022年)

ライナー・W・ファスビンダー「天使の影」(1976年、監督はダニエル・シュミット)

アレクサンドル・ソクーロフ「マザー、サン」(1997年)

ジョン・カサヴェテス「ミニーとモスコヴィッツ」(1971年)

ジャン・ユスターシュ「ママと娼婦」(1973年)

ワン・ビン「黒衣人」(2023年)

セルゲイ・ロズニツァ「破壊の自然史」+「キエフ裁判」(2022年)

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順不動。楽しみだったドワイヨン初期作3本の上映は「あばずれ女」(1979年)「放蕩娘」(1981年)も素晴らしかった!新文芸坐シネマテークの大寺眞輔さん、ありがとう!カサヴェテスやユスターシュの回顧も(本数はあまり見れなかったですが)人間の感情の芯に触れるような体験でした。ファスビンダーの作品は近年上映機会が増えていて「天使の影」がファスビンダー特集に組み込まれるのも納得。ソクーロフという映画作家は、実は今まであまりピンと来なかったものの「モレク神」(1999年)に驚き、その勢いで「マザー、サン」を円盤で見て、100年先を行ってる!と思いました。でも、ワン・ビンだってロズニツァだって、20世紀を問い直すという意味では100年単位のビジョンを刻む仕事だよな、とも…。そう考えると、映画って、現代メディアの中でも感覚情報の記録性に優れているのだから、場所が変わり時代が変わり異なる社会空間の中で、そのビジョンを感覚的に再現することに真の価値があるのでは?だからまぁ「今年の新作映画」なんて“試写”程度の意味しかないんだよなって。