そういえば、昨日行ったのはミニシアターだったから、予告編も世評の高い某日本人監督の作品が流れていた(良い印象を抱いたわけじゃないので名前は言いませぬ)。日本映画は外国映画以上に映像や被写体への意識や嗜好性において共感しやすく、逆にそのぶん反感もヴィヴィッドに現われますね。その敏感さには我ながら驚きます…
そういう神経過敏なところは自分でもちょっと嫌になる。たとえば、俺自身たっぷり楽しんだ演劇作品があり、そしてその舞台を作演さん自身が映画化したとする。その出来には作演さん自身十分満足している。でも、俺にはそれはまったくの別物なので好きになれないことも大いにありうるというかその可能性のほうが高いくらいなので…きっと、怖くて見られない…
根拠がないわけじゃない。仮に、同じ俳優の同じ表情でも生で見るのと映像で見るのとでは意味が違う。視覚的ニュアンスが違うという以上に、そこには映像の哲学や思想が介在するので、それは存在論的に異なる。あるいはそれは、いわばSFの並行世界みたいなもので、両者の交わるところで必ず論理的齟齬が生じる。ほんのわずかな齟齬、もう意識するかしないかという脳科学的なシナプスの働きが意識の破綻や断絶に直結するんじゃないだろうか…