【映画編】
憐れみの3章(ヨルゴス・ランティモス)
ランティモスの新作「哀れなるものたち」が公開されて間もないので“軽い”作品かな、と思っていたら、実際、製作規模は大きいとは思えないものの、めちゃくちゃ気合いが入っている。おそらくは脚本的に。でなきゃ、各55分の3章立てなんて構成にならんでしょう。ただ、マニアックな語り口なので興行的には厳しいと判断、それで、話題作の余韻が残っているうちに公開したかったのかも。ルイス・ブニュエルを継承するようなブラックでシュールで諧謔に満ちた映像を畳み掛けてくる。現代社会の「支配」の様相をアレゴリカルに描いて暴露する。ガザの糞ったれな悲劇が終わらぬ今、ジェノサイドの時代に抗うには、これまで以上にブラックな表現の強度が必要なのでは?われわれは映画館で、ファンタジックな陶酔に浸るのではなくむしろそこから目を覚まし、皆で頭を両手で抱えながら出てくるべきじゃないのか?
【演劇編】
狂言山月記(家で出来る演劇)
「演劇」というのは言葉と身体を使って“空間”を構築する芸術なので、劇場という無限に建て替え可能な“特殊空間”を使うわけです。じゃあ、新宿区の戸山公園で「野外演劇」を上演することにはどんな意味があるかというと、それはその場所固有の記憶を作品の一部として“ハイブリッドな空間”を練り上げるということでしょう。上演当日、公園を管理をしている方のスピーチがあって戸山公園野外演奏場の来歴を話してくださったのですが、その言葉によってその地の記憶が立ち上がり、そこに中島敦「山月記」の言葉と屋代秀樹の書いた言葉が重なるように響く。と同時に、演じる俳優たちの声と身体が刻まれた場所として、その地の歴史は更新される…。演奏場をそのまま利用するのではなく、樹々が屹立し、土肌も露わな傾斜面をアクティングエリアにしたのも良いアイデアでした。