2022年7月2日

「disposal」解題


2010年代の日本と「死の素描」

『disposal』(2015年)の見どころは全部!と言いたいところですが、上映時間28分のうち20分余りを占める「地下道を彷徨う男」が何を意味するのか?は気になるかもしれません。逆に言えば、この謎めいた描写を焦点にしたいので、どの程度物語的に「意味付け」をするかは製作上の課題でした。結局、リーディングに使う小説はクラシックだし、撮影した映像もシンプルだったので、物語の余白は空けたままにしようと決めました。たとえば、堀辰雄の「死の素描」とこの〈男〉はどんな関係にあるのか?男が渡された〈スーツケース〉の中には何が入っているのか?男はなぜ苦しむのか?詳細は明らかになりません。それでも〈男〉はこの映像世界において唯一無二の人物であり、彼は「死の素描」の語り手、登場人物でもあり、そして何らかの指令を与えられ、遂行の過程で死の危険に晒される存在なのです…。この作品を製作した2010年代前半は東日本大震災の記憶も今より生々しい時期でした。国策として流布された〈安全神話〉の果てに爆発した原発。そこから流出する放射性物質や汚染水をどう処理するのか?政府は、あるいは東電は、事故責任を回避し被害状況を小さく見せようとやっきになっているようにみえました。その結果、彼らにとって不都合な事実は沈黙の下に処理されつつ権力機構の闇へと葬られ(タイトルの「disposal」は「廃棄」を意味します)日本のエネルギー政策は方向転換すら果たせていません。映画の最後に投影する福島の海、それは墓標としての海です。われわれはこのカフカ的装置に組み込まれ、今も「死の素描」の線上を歩いているのではないか?巨大な悪意も計画も察知できぬまま、人間に必要な「赤い血」はいつのまにか「赤インク」にすり替えられているのではないか?既存の国家システムへの不信感は2022年の今もまだ拭えないどころか近年のCovid-19への対応ひとつをとっても、何も変わっていません。やっかいな新型ウイルスが2019年に発生した事実は、この2010年代の悲劇が終わらないことを示唆しているような気すらします。こうした時代の閉塞感を語るため、一方では、堀辰雄らしいちょっとセンチなモノローグを西村俊彦さんの美しい倍音ボイスで再生し、もう一方では、現代日本の黙示録的世界をハードコアなロケーションで撮影しました。それにしても、あんなペラッペラな防護服と防塵マスクで〈男〉は自身を守り切れるのでしょうか?彼とわれわれの甘味な悪夢はいったいいつ終わりを告げるのでしょうか?