2024年3月30日

デジャヴュ

デジャヴュ(1987年)
映画は、17世紀スイス・グリゾン州の英雄、イエナチュの墓を発掘したというニュース映像から始まる。この「イエナチュ」という伝説的人物の謎を追うジャーナリストのお話だ。この作品を初めて見たのは、おそらく1988年の日本初公開時だと思う。その後も何度か見たし、当時、最新の映像メディアだったLaser Discも買った。ただ、Laser DiscというのはVHSビデオがDVDディスクへと切り替わる狭間に現われた比較的短命のメディアで、多少普及した後、あれよあれよとDVDに駆逐されてしまった。自分もLaser Discの機材を導入したものの、狭いアパート暮らしではソフトもハードも置き場所に困り、ハードは処分、数少ないソフトは実家の押し入れへ。

その存在に気づいたのが2年前の正月。まさに発掘である。まだDVD化されてなかった『デジャヴュ』を見直したくて中古のプレイヤーを購入、動画をデジタルキャプチャーしてようやく再会した。でも、Laser Discの画質といってもVHSテープと大差はない。かえって、いつかスクリーンで、もっと美しい映像で見直したいなぁという気持ちも残った。そんな折、デジタルリマスター版で再上映されることに…

36年ぶりにスクリーンで見る『デジャヴュ』は美しかった。撮影はレナート・ベルタだから、再現された映像の彩度が高くてオリジナルより華美な画に感じられたのは残念だが、それでも昔の環境でテレシネしたアナログ映像とは比べ物にならない。キャロル・ブーケの瞬き一つまで感じる大きな画面は贅沢と言うほかないし、ラウラ・ベッティの奇妙な語りも最高だ。クリストフ(ミシェル・ヴォワタ)が、イエナチュを殺害したものと言われる斧を手に取り「本物ですか?」と訊くと、プランタ嬢(ラウラ・ベッティ)はこう答える。「本物?(高らかに笑って)本物と偽物にどんな違いが?違うのは、見つかった時期だけ。私は、ここにいます。その傍には、かつてここにいた人々がいるのです。みんな本物。ただ、時間の流れが私たちの間に違いをつくる。ほんの少しだけね…」

よく考えるのだが、写真や映画といった記録性の高い芸術がその本質的価値を見出すのは、完成直後ではなく時が経ってからではないか?「新作」の映像芸術など、どうしたって「現在」の感覚でしか見られないし、語られない。だが、それが何だったのか?が明らかになるのはもっとずっと先なのだ。その意味で、映画は「現在」の芸術であると同時に「過去」や「未来」の芸術でもある。ダニエル・シュミットの『デジャヴュ』が語るのもそういった「時間の混淆」というテーマであり、われわれが目にしたのは、鈴の音ひとつで時を超えるという映画の存在論だったのだと思う。